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明治時代の洋館を訪れる/兵庫県立舞子公園・旧武藤山治邸(VR映像で見てみよう!)

明石海峡と明石海峡大橋を臨む,舞子公園の海に面した場所に建つ、「旧武藤山治邸」は明治40年(1907年)に武藤山治が舞子に建てた木造二階建ての洋館です。円形のバルコニー、スレート葺の屋根、下見張板の外壁が特徴となっています。武藤山治が亡くなった後は、鐘淵紡績株式会社に寄贈され「鐘紡舞子倶楽部」と称し、福利厚生施設として利用されていました。

舞子の海を臨む素晴らしいロケーション

舞子の海を臨む場所に立つ「旧武藤山治邸」は平成7年(1995年)に明石海峡大橋建設に伴う国道2号線拡張工事のため、洋館のみが垂水区狩口台へ移築されました。そして平成19年(2007年)、カネボウ株式会社より兵庫県へ家具・絵画・蔵書などとともに寄贈され、兵庫県舞子公園へ移築・復元し、平成22年(2010年)11月より公開されています。平成23年(2011年)7月には国の登録有形文化財として登録されました。

明治期の住宅形式や生活様式を知ることのできる貴重な建物

赤いカーペットや家具が美しい、当時の洋風生活スタイルをVR映像でお楽しみください。

兵庫県立舞子公園/旧武藤山治邸

最初に真ん中の再生ボタン(▶)を押すとツアーが動き出します。画面の左下にツアーの自動再生ボタン< ▶ >もでてきます。自動再生ツアーは設定したポイントからポイントへ切り替わっていきますので、順番に進みたい場合は見たいところをクリックしながら進んでください。また、自動再生中でも好きなところでマウスクリック、またはタップするとそこから自由に動きまわることができます!

武藤山治はどのような人物?

建物の話が続きましたが、この洋館を建てた武藤山治氏とはどのような人だったのでしょうか。

2F広間に飾られている3枚の肖像画の中央が武藤山治氏です。

武藤山治
慶応3年(1867年)岐阜県生まれ。慶應義塾において福沢諭吉の下で学び、卒業後はアメリカへ留学。帰国後、三井銀行などを経て、明治27年(1894年)に鐘淵紡績株式会社(以下鐘紡)へ入社、大正10年社長に就任。新しい経営手法を取り入れ、日本有数の企業に育てた功績により、鐘紡における中興の祖であると言われ、大正13年(1924年)衆議院議員に当選。政界引退後は時事新報の経営に携わった、日本を代表する経営者でした。
しかし、昭和9年(1934年)3月9日、北鎌倉の自宅近くで暴漢に銃撃され翌10日に死去。(享年68歳)なぜ命を狙われたのか、真相はわかっていない。
武藤山治氏に興味を持たれたら、ぜひ「旧武藤山治邸」へ足を運んでください。


当時の華やかで活気を感じる調度品

赤いカーペット、レースのカーテン、ステンドグラス、暖炉などをじっくり見て回ることができます。またクリスマスシーズンにはクリスマスの飾り付けが施され、1F広間やバルコニーで音楽コンサートなどが催されるので、何度も足を運びたくなります。

素晴らしいロケーションで癒される

2階からは、テラス越しにかつての住人が楽しんだ明石海峡の絶景を味わうことができます。沈む夕日を眺めながら、ゆっくりとした時間を重ねていったことでしょう。海を望みながら様々な想いを馳せた気分をぜひ味わってみてください。あの頃にはなかった明石海峡大橋越しの淡路島も絶景です。

旧武藤山治邸では定期的にジャズライブなども開催されているので、海辺で音楽を聴きながら洋館の魅力を存分に楽しむことができます。


兵庫県立舞子公園 旧武藤山治邸
JR「舞子駅」下車 徒歩5分
山陽電車「舞子公園駅」下車徒歩5分
詳しいご利用案内はこちら


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